女性パイオニアとは何か

セルロイドの天井 映画は国際的に見ても女性の進出が圧倒的に遅れている分野である。アメリカの興行収入トップ100に入った映画のうち、女性が監督した作品は2018年の時点で4%に過ぎなかった。しかし、2019年には12%、2020年に16%とこの数字は直近で着実な伸びを見せている【1】。アカデミー監督賞を受賞したのは2009年のキャスリン・ビグローただひとりだったのが、2021年に『ノマドランド』(2020年)のクロエ・ジャオが続き、初の非白人女性となった。カンヌ国際映画祭では、2018年に審査員長だった女優ケイト・ブランシェット、アニエス・ヴァルダ監督ら女性映画人たちがレッドカーペットに集い、70年を超す歴史を通してコンペに入った映画のうち女性監督の作品は82作、5%に過ぎないことを指摘した【2】。2021年にはジュリア・デュクルノーが『チタン』(2021年)でパルムドールを獲得、1995年のジェイン・カンピオンに続くふたり目の女性受賞者となった。このように、映画業界において女性の大作への参画を阻んできたいわゆる「セルロイドの天井」は、2017年にハリウッドのプロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタインのセクシュアル・ハラスメントに対する女優たちの告発として始まった#MeToo運動やTime’s Up(「もうたくさん」)運動のうねりのなかで問題化され、一歩ずつ改善の途上にある。 日本に目を転じると、セルロイドの天井はより一層分厚い。非営利団体JFP(Japanese Film Project)によれば、2000〜2020年の21年間に劇場公開された興収10億円以上の実写邦画796本のうち、女性監督作品は延べ25本(3.1%)である【3】。一方で、2021年9月現在、ミニシアター界隈で話題の監督といえば、体感としてはかなりの数の女性が含まれているではないか、という向きもあるかもしれない。実際、同調査によれば2020年の監督女性比率は日本映画全体では12%、ドキュメンタリーに限れば23%であり、「ヒット作」の指標となる興収10億円を超えた作品になると女性監督が激減することがわかる【4】。 セルロイドの天井の要因として洋の東西を問わず指摘されてきたのが、ビジネスとして動く金額が大きくなればなるほど、監督の決定にあたって、女性には「任せられない」「なんとなく不安」というようなバイアスに囚われるということだ。男女平等が建前としては確立された社会において、セクシズムはしばしばこうした意識化されない不信や疑念の形を取る。ハイレベルの人事に発言権を持つ女性が少ないことがひびいているのは言うまでもないだろう。さらに、長時間労働、低賃金、ハラスメント、やりがいの搾取など、ジェンダーを問わず問題化している映画産業の労働環境が、家事や育児の主たる担い手になることが未だ当然視されがちな女性にとりわけ重くのしかかり、ライフコース上の理不尽な選択を迫られて、そもそも天井に向き合うに至らないケースも多いと想像される。

女性パイオニアとは何か 「日本映画における女性パイオニア」は、セルロイドの天井のような現代の問題関心に支えられつつ、映画史のなかで長らく看過されてきた女性の作り手の仕事を発掘し、紹介するプロジェクトである。主たる対象とするのは、映画産業の草創期から、撮影所システムが衰退するとともに自主映画や実験映画出身の女性映画人のキャリアパスが見え始める1980年代までとなる。 映画研究におけるジェンダー論といえば、画面上や物語世界の中の、ほとんどの場合は男性によって作られた女性像を分析するのが主流であった。しかし、欧米では、1970年代のフェミニスト映画批評の勃興期から、理論や女性イメージの分析と並行して女性監督についての映画祭・特集上映や研究が行われ、同時代の作家のみならず、ドロシー・アズナーやマヤ・デレンらの仕事に新たな光を当てた【5】。 このように脈々と続く女性の作り手に対するフェミニスト的関心と、1980年代を通して初期映画(19世紀末〜1915年頃)について目覚ましい成果を上げた「新しい映画史」が1990年代に合流して生まれたのが、欧米を中心とした「女性映画パイオニア・プロジェクト」である。「新しい映画史」はアーカイヴに赴いて映画フィルムをはじめとした一次資料を精査し、通説を無批判に繰り返してきた既存の映画史記述を更新した【6】。「パイオニア・プロジェクト」は、ヨーロッパやアメリカにおいて、トーキー化(1920年代末)以前、中小企業による手工業という側面が残り流動性が高かった映画産業では女性が作り手として活躍する余地が残されていたという歴史認識に基づき、現在では忘却されたそのようなパイオニアを発掘し、業績を分析し顕彰してきた【7】。アリス・ギィ=ブラシェやロイス・ウェバーのようなサイレント時代の大監督が「発見」され、メアリ・ピックフォードをはじめとしたスター女優がしばしばプロデューサーなどの役割を兼任して主演作の製作プロセスに大きな影響力を及ぼしていたことが知られるようになったのは、この運動の成果である。 本プロジェクトは欧米で始まった「女性映画パイオニア・プロジェクト」に触発されているが、その「日本版」ではない。日本では、19世紀末の映画伝来以来、広い国内市場を基盤に映画産業が発展し、アメリカやヨーロッパの産業機構や技術・技法を貪欲に取り入れつつ、異なる文化的・社会的・政治的文脈のもとで120年以上の歴史を築いてきた。女性のエンパワーメントも抑圧も、このようなローカルな文脈のなかで起こった。そのため、たとえば日本のサイレント時代(1896〜1935年頃)に女性映画人が活躍するユートピアが存在したかというと、少なくとも現在までの調査研究の結果によれば、残念ながら疑わしい。『青鞜』をはじめとしたフェミニストの運動はあっても、ホワイトカラーの職場への女性の進出は北アメリカや西ヨーロッパと比べて限定されていた。また、歌舞伎や能、文楽のような伝統的な舞台芸術において演者はすべて男性であり、西洋の影響のもとでまず演劇に導入された「女優」は、1920年代前半に映画に定着した。しかし、地方の「小芝居」における女役者たちの活躍、彼女たちが映画と取り結んだ(かもしれない)関係について、たしかに存在した女性弁士について、サイレント映画の女性脚本家や結髪について、本格的な発掘調査はようやく始まったばかりである【8】。

作家概念の再考に向かって ここまで映画の「作り手」を敢えて監督に限定して論を進めてきたが、上の一節でも示唆したとおり、映画パイオニアは決して監督だけではない。映画は集団制作によって生み出される商品であり、製作・配給(流通)・興行(上映)の3領域にわたり、多くの「作り手」によって成り立っている。プロデューサー、脚本、美術、衣裳、ヘアメイク、照明、撮影、演技指導、助監督、スクリプター(記録係)、音響、編集、特殊効果、宣伝・広報、字幕作成、映画館経営、映写、受付、案内係、映画解説、などなど、多くの役割・職能で女性が働いていた【9】。ほとんどの撮影所で女性の職とされ、現場(撮影・演出)とポストプロダクション(編集・音響など)を繋ぐ重責を担ってきたスクリプターには、このサイトでも1コーナーを捧げている。さらに、映画文化の重要な「作り手」として、本プロジェクトが対象とする時代にはごく少数だった女性の映画批評家やジャーナリストのキャリアにも目を向けてゆきたい。 フェミニスト映画史は、作家主義批判と密接な対話を行ってきた。作家主義とは、映画の意味や物語構造、形式上の特徴の総体を、その作品の「監督」に帰することであり、1950年代フランスで映画批評のひとつのポリシーとして提唱された時点では、原作や脚本に頼る「良質の伝統」をこき下ろし、画面に顕現する演出に熱狂するアヴァンギャルド運動だった【10】。しかし、狭義・広義を問わず、作家主義的アプローチが陥りがちな陥穽として、正典(カノン)形成への欲望、文学や美術における伝統的な作家研究との親和性、非歴史性、「天才」の称揚、作家の創造性と男性性の混同などがある【11】。これらの傾向は、フェミニスト映画史が批判してきた既存の映画史の語りの構成アイテムにほかならない。「日本映画における女性パイオニア」は、「作家」概念を単に女性やスタッフに拡大するのではなく、概念そのものについて議論し、ヴァージョンアップを促す試みとなる。(執筆:木下千花)

※1 Martha M. Lauzen, “The Celluloid Ceiling: Behind-the-Scenes Employment of Women on the Top U.S. Films of 2020,” Center for the Study of Women in Television and Film, San Diego State University, https://womenintvfilm.sdsu.edu/wp-content/uploads/2021/01/2020_Celluloid_Ceiling_Report.pdf ※2 “Cannes 2018: Instant féministe pour la montée des marches des « Filles du Soleil »,” Elle, May 12, 2018, https://www.elle.fr/Cannes/News/Cannes-2018-Instant-feministe-pour-la-montee-des-marches-des-Filles-du-Soleil-3672443; アトランさやか「ローランス・ガシェさん」<パリのシモーヌたち 映画編>『シモーヌ』vol. 4(2021年)、92-93頁。 ※3  Japanese Film Project, 「日本映画業界の制作現場におけるジェンダー調査」、2021年7月1日、https://survey.jfproject.org/JFP_SURVEY_2021_Summer.pdf ※4 日本映画製作者連盟の統計ページを参照。http://www.eiren.org/toukei/ ※5 1970年代の女性映画祭の報告として、村川英「ウーマン・フィルムフェスティバル」『映画評論』1974年7月号、112-16頁;アニエス・ヴァルダ「トロントについての覚え書き」相川千尋訳『シモーヌ』vol. 4、2021年、15-22頁; Claire Johnston ed. The Work of Dorothy Arzner: Towards a Feminist Cinema (London: British Film Institute, 1975). ※6 「新しい映画史」への優れた導入としては、Thomas Elsaesser and Adam Barker, ed. Early Cinema: Narrative, Space (London: BFI Publishing, 1990)、長谷正人・中村秀之編訳『アンチ・スペクタクル──沸騰する映像文化の考古学』東京大学出版会、2003年。 ※7  Jane Gaines, Radha Vatsal, and Monica Dall’Asta, eds. Women Film Pioneers Project. New York, NY: Columbia University Libraries, https://wfpp.columbia.edu/ また、「女性と映画史」国際研究会は、2001年以来、隔年でシンポジウム+研究発表大会「女性とサイレント映画」を開催している。https://www.wfhi.org/ カリフォルニア大学サンタクルーズ校で開かれた第1回大会の成果については、Amelie Hastie and Shelley Stamp, “Introduction: Women and the Silent Screen: Cultural and Historical Practices.” Film History 18, no. 2 (2006): 107-09. 女性とサイレント/初期映画については過去20年間に豊かな研究の蓄積があるが、代表的な論集として、Jennifer M Bean,Diane Negra, Amelie Hastie, and Jane M Gaines, eds. A Feminist Reader in Early Cinema (North Carolina: Duke University Press, 2002). ※8 歌舞伎座のような都市の大劇場における「大芝居」に対しての「小芝居」。女役者については、鷲谷花「《女の活劇》の系譜論──女剣劇から『くノ一忍法』まで」、斉藤綾子編『映画と身体/性』森話社、2006年、「撮影所時代の「女性アクション映画」」四方田犬彦・鷲谷花編『戦う女たち──日本映画の女性アクション』作品社、2009年がある。サイレント時代に活躍した女性脚本家としては水島あやめと鈴木紀子が知られている。因幡純雄『水島あやめの生涯──日本初の女流脚本家・少女小説家』銀の鈴社、2019年、池川玲子「戦時下日本映画の中の女性像」『歴史評論』第708号(2009年4月)、46-60頁。 ※9 編集の領域で活躍した女性についての充実したサイトとして、映画作家スー・フリードリックがプリンストン大学で運営するEdited by: Women Film Editorsがある。https://womenfilmeditors.princeton.edu/table-of-contents/ ※10 1950年代フランスに始まった歴史的な批評の姿勢(あるいは政策)としての作家主義については、『アンドレ・バザン研究』第1号(2017年)の「作家主義再考」特集、木下千花『溝口健二論——映画の美学と政治学』法政大学出版局、2016年、46-63頁を参照。 ※11  Dana Polan, “Auteur Desire,” Screening the Past, no. 12, March 1, 2001, http://www.screeningthepast.com/issue-12-first-release/auteur-desire/

女性パイオニア

映画産業では従来、プロデューサー、脚本、美術、衣裳、ヘアメイク、照明、撮影、演技指導、助監督、スクリプター(記録係)、音響、編集、特殊効果、宣伝・広報、字幕作成、映画館経営、映写、受付、案内係、映画解説、批評家、ジャーナリストなどなど、多くの役割・職能で女性が活躍してきた。映画産業の草創期から、撮影所システムが衰退するとともに自主映画や実験映画出身の女性映画人のキャリアパスが見え始める1980年代まで、映画史のなかで長らく看過されてきた女性の作り手の仕事を紹介する。(Photo: 国立映画アーカイブ所蔵)

スクリプター烈伝

記録係とも呼ばれるスクリプターは、ほとんどの撮影所で女性の職とされ、現場(撮影・演出)とポストプロダクション(編集・音響など)を繋ぐ重責を担ってきた。スクリプターの仕事を解説する「スクリプターとは何か」とともに、現役で活躍するスクリプターの女性たちのインタビューを紹介する。

リソース

映画史にとって重要な雑誌記事などの一次資料を解説とともに紹介する。